『追憶』 イントロダクション

tittle私が、なぜ西﨑義展氏のことを書こうと決めたかといえば、アニメーションというジャンルの映画の価値を限りなく昇華させた人間として、誰もが知っている表の部分とは別の面を知り得たからに他ならないからだ。

これはプライバシーの暴露ではなく、人間として魅力的に思えた部分が、氏の持つ独特な負のイメージを十分に払拭してくれると確信しているからだ。1999年の6月に氏からの手紙を受け取り、2007年の夏以降2010年の父島まで、朝のお迎えから製作現場、あるいはプライベートな旅行、そして帰宅して就寝するまでを付き添った私でなくてはできないことだと思う。

内容の半分をこのブログに掲載した時点で書籍化することを前提としている。西﨑義展氏はことあるごとに「恥を知れ!」と教誡することがあった。それは育てられてきた品位ある家庭環境に由来する言葉だと思う。数多く聞いた言葉の中から特に印象深い意味を持っていたように思う。

どん底の中で、思ったことだという。「今、自分自身がなにをして、どこに向かっているのか?わからないとは言わせない。恥を知れ!」

『追憶』 ~僕の見た人間「西﨑義展」~

追憶
~僕が見た人間『西崎義展』~

Intoroduction

今回の「追憶」は、私の回想形式で書いていこうと思う。
それゆえ、時間軸は飛び飛びで配慮なく前後する。
トピックスの変わり目で心を入れ替えて、もとい、心を切り替えてお読みいただければと思う。なぜこのようなスタイルを取らせていただくかといえば、この回想が、西崎氏の最期を記すためのものではないからである。最後のページに悲しい結末が書かれていては、悲しい思い出しか残らない本になってしまう。
西崎氏は、母親の命日に、私に向かって「キリスト教は、最期は天国にいけるから、明るくて構わないんだ」と言っていた。
だから、明るく終われるよう書いていければと思う。
なお、私の記憶を頼りに書いているので事実と食い違う部分もあるかと思うが、その場合は正確に記憶している方の内容が正しいので、そちらを優先してほしい。
本書を執筆するにあたり、ご自身の大切な時間を費やしして協力してくださった方々に深く感謝する。

『追憶』 ~僕の見た人間「西﨑義展」~

11月7日、第3回「西﨑義展氏を偲ぶ会」に、遠方より駆けつけてくださった皆様、貴重なお時間を割いて参加してくださった皆様に感謝の言葉もありません。

当日、皆様に公言したとおり、西﨑義展氏の歴史を順に追っていくのではなく、一人の人間として私が感じた日々を綴った書籍の販売を決定したことをご報告いたします。

とかく西﨑義展の人生はスキャンダラスな部分に目が行きがちですが、私の目に映ったものは、それだけではありませんでした。人間味溢れた実像に関しては、是非とも多くの方々に知って頂きたいと考えております。

『追憶』 ~僕の見た人間「西﨑義展」~

近日中に、内容の一部をアップしていきますのでお読みいただければ幸いです。