38ページ 赤色巨星

 不気味に暗い影を落として燃える星。青く若々しく燃えていた恒星の最後だと言われています。この地でどのような戦闘があったかは、本編ではカットされてしまっていたのでわかりませんが、私達の手元にある書籍で一番詳しいのは「ひおあきら」氏のコミックでしょう。
最後の「さらば~」の項目で書きますが、「ひおあきら」氏のコミックは、早い段階の絵コンテかシナリオを基に描かれているので、映画製作の最終段階で無念のカットにより消えてしまった「未公開シーン」も描かれていたりします。
今回は、赤色巨星編(?)を参考にされるといいと思います。
この1枚の赤色巨星が主張している物語性を感じずにはいられません。

真っ赤な絵の具に真っ黒な絵の具を、水張りの乾かないうちにたっぷりと、そして勢いよく混ぜ合わせながら(そして失敗は許されない!長年の経験と適量を筆から落とせる技術!)、しかしゆっくりと力無く燃える星を静かに表現しているこの1枚は、現代のCGでは、絶対に真似の出来ない表現です。
現在の映画において、CGは万能なツールであるかのように見られがちですが、劇場で見たときの迫力を1枚の止め絵として見たときに、最初に劇場で得られた興奮を再現されることは希です。なぜならCGは動いて見せる技術であって、止め絵として見せる技術ではないからです。
この1枚を見るためだけに本書を開いても価値は見いだせると思います。

5月20日追記
CGでの表現について私なりの思いを書かせて頂きます。
CGで「絵」を作るときには、大まかに分けて二つの方法があると思います。一つは、人間がツール(絵の具でも、写真でも、パソコン上のソフトでも)を使って描いた後に、テクスチャとしてオブジェクトに貼り付ける、あるいはCGソフトに渡して目的に合わせた計算をさせて変形などのエフェクト加える方法と、もう一つは、最初から必要な計算データを与えて起こらせたい事象をパソコンに計算させる、いわゆるシミュレーターのようなソフトを使う方法です。
いずれの方法にしても、商業ベースに載せるための方法としては、作り込むほどに時間と人件費等がかかってきてしまいますし、手書きというアナログの要素を入れ込むには、結果として複雑な計算式が必要であり、完全なシミュレーションなどは不可能とまでは言えませんが、なかなか難しいものです。
それ以上に、例えば、現在10万円程度で購入できるパソコンは、アポロ計画が実行された1961年の頃のコンピューターよりも遙かに性能では上回っていますし、秋葉原で数百円で売られているパーツは、当時のハードより遙かに高性能です。しかしながら私達個人は、月に行くまでには、まだまだ高いハードルがあり実現できていません。
オーディオの世界でも、192KHz、24ビットという高性能オーディオフォーマットを手に入れ、人間の耳では聞き取ることの出来ないような音楽を聴くことも出来るようになっています。音を自在に作り出す音源も企業の努力によって高性能且つ低価格化が進んでいて、1974年に富田勲氏が「月光」を発売した時よりもシンセサイザーの能力は数百倍も上回っています。しかし……。
私自身、CGで描かれた「アート作品」を多数見てきましたし、感動もしてきました。ちょうど「さらば~」を見た頃からパソコンには興味を持ち、色々なことに挑戦し楽しんできましたからパソコンの素晴らしさも知っています。
しかし、私個人として、未だにオーディオはレコードを楽しみ、パソコンでは、古い8ビットパソコンに愛着を感じている人間であり、レコードへ針を落とす瞬間に「この儀式はCDにはあり得ないな」とつぶやいているのです。
そんな人間が、ヤマトの為に描かれたイラストボードを見て深い感激を受けたのは、目の前にある現実感=絵の具で描かれたというリアル感と、そこに宿る繊細なテクニックです。
紙の余白から感じ取れる筆の勢い、絵の具の香り。一本一本の線に筆に込められた思いを感じ取られずにはいられません。そして、インターネットなどによって簡単に得られてしまう情報も当時は手探りで見つけだし、アイディアを詰め込んで描かれた「絵」が持つアイデンティティーは何物にも代え難いものです。
本書に選ばれた絵は、そんな基準もあったりします。